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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)167号 判決

原告 蛭田正次

右訴訟代理人弁護士 河野宗夫

同 谷浦光宣

被告 浅見米吉

右訴訟代理人弁護士 吉井規矩雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立て

(原告)

「被告は原告に対し金九六万八、〇〇〇円およびこれに対する昭和三九年一月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。」

との判決と仮執行の宣言を求める。

(被告)

主文と同旨の判決を求める。

第二原告の請求原因

一  被告は、訴外株式会社大井軽合金製作所(以下大井軽合金という。)の代表取締役をしていたが、同社は、昭和三六年四月頃、東京都から騒音公害を理由に工場の操業の中止を命ぜられ、爾来事業活動を停止し、事実上会社の実体はなく、単に登記簿上に存在するに過ぎないものであったところ、鏡石鋳造株式会社(以下鏡石という。)代表取締役大内弥四郎(以下大内という。)から、昭和三八年十月初旬ころ鏡石の融通手形操作のため、大井軽合金名義の約束手形の振出を依頼され、被告は依頼に応じ、別紙三通の約束手形(以下本件手形という。)を振出し、これを大内に交付した。

二  原告は、右大内からその頃本件手形の割引を依頼されたので、右大内に対し手形割引金九六万八、〇〇〇円を交付し、右手形の交付を受けた。

原告は、昭和三九年三月一六日、本件手形の取立てを白河信用金庫矢吹支店に対し委任したところ、本件手形はいずれもその支払いを拒絶された。

しかるところ、訴外鏡石は、昭和三九年三月末ころ倒産するに至り、会社資産もなく、原告は、前記手形割引金の返還を受けることが全く不可能となった。

三  被告は、右の方式により融通手形を発行するならば、第三者たる手形取得者に対し損害を与えるに至るであろうことを認識していたか、もしくは認識すべきであったにも拘らずこれを認識しなかった過失により、本件手形を振出交付し、よって原告に対し、前記のとおり金九六万八、〇〇〇円の損害を与えるに至った。

もし、右の過失が認められないとしても、一般に、手形割引の際には、単名手形よりも、第三者振出の手形に裏書のある手形を割引く方が、信用度も高く、かつ、安全であると考えられているところ、被告と大内とは共同し、或いは大内の行為を被告が助けて、本件手形を振出したものであって、原告をして、安全な手形であると信じ込ませ、大内の金銭取得行為を容易ならしめたものであるが、被告としては、第三者が本件手形のように、一見安全度の高い外観に信頼して手形割引をなすことも予見して、かかる無責任な行為はなすべきではないのに、これを怠って手形を振出したものであるから、被告には過失があるといわなければならない。

四  また、被告は、大井軽合金が資産を有せず、かつ、将来においても有する見込みを有しなかったのに、同会社の代表取締役として右会社名義の融通手形を振出したものであるが、融通手形の発行自体第三者に対し損害を与える危険性が大なるものであるから、被融通人の資産、営業状況等に充分注意して、万一にも不渡手形の発生を惹起し、第三者に対し損害を与えることのないようにすべきであるにも拘らず、軽卒にも慢然訴外大内に対し本件手形を振出交付し、これを行使させた重大なる過失により、被告は原告に対し金九六万八、〇〇〇円の損害を与えたものであるから、被告は商法二六六条の三により、原告に対し損害賠償責任を有する。

五  従って原告は、被告に対し右損害金九六万八、〇〇〇円およびこれに対する原告が右手形割引金を訴外大内に交付した後である昭和三九年一月一日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるものである。

第三被告の答弁および抗弁

一  原告の請求原因のうち、第一項は認め、第二項については本件手形が不渡りになったことは認め、その余は不知、第三、第四項はいずれも否認する。

二  原告は、被告の本件手形振出によって損害を受けたと主張するが、それは被告の故意あるいは過失に基づくものではない。

第一に、被告が本件手形を振出したのは、訴外大内との間に、「本件手形が割引かれ、これを善意取得した第三者が満期に支払いの為呈示をなしたばあい、鏡石がその経済的出捐をなして、右手形を決済する」旨の契約があるので、被告が手形を振出しても、第三者たる手形取得者に対し、何ら損害を与えないものと信じていたものであるから、鏡石が支払能力の欠如により支払義務を履行し得なくなって、手形を決済せず、これが為第三者に対し損害を与えるに至るであろうことを認識していなかった。

つぎに、被告は、本件手形を振出す時、本件手形の支払期日に、鏡石が手形を決済する資金を出捐できなくなったことを予見していなかったし、また、被告には、それを予見する可能性はなく、したがって、被告には何らの過失もない。即ち、被告は、大井軽合金の代表取締役として鏡石のために昭和三七年七月ころから同三八年一〇月ころまでの間に本件手形と同様の融通手形の趣旨をもって合計一二二枚、額面金額合計三、六六五万九、二一〇円の約束手形を振出したが、これらは同三七年八月三一日から同三八年一二月三一日までの各支払期日に、鏡石の代表取締役大内弥四郎の経済的出捐において、支払われていたことにより、被告は本件手形の振出当時において、鏡石にはなお本件手形を決済する程度の支払能力があると確信していたものである。被告は、昭和三八年一〇月初めころ本件手形を含む一七枚の約束手形を振出したものであるが、これらが、その満期である同三九年三月二五日から同年四月二二日に不渡になったものである。また、鏡石が本件手形を不渡にしたのは、昭和三九年三月一〇日鏡石の取引先である株式会社昭和製作所の倒産に関連し、これとの連鎖反応によるものである。すなわち、鏡石の倒産は予期することのできない特別事情によって発生したものであって、被告の予知しうべき限りでなかったのである。

ついで、原告は、手形割引の際には、単名手形より、第三者が振出した、いわゆる商業手形のほうが信用度が高く、かつ、安全であると考えられていると主張するが、それを根拠づける合理的な理由はない。手形割引の可否は、その割引をなす者が振出人および裏書人の信用度を調査し、その調査結果によりなすべきものである。したがって、原告の主張はそれ自体理由がない。

三  原告が手形を割引いたのは、大井軽合金の信用によるものではなく、当時経営も順調であった鏡石を信用してしたものである。このような事実関係において原告に損害を与えたのは鏡石であって被告ではない。

四  原告は、予備的請求として商法二六六条の三により、大井軽合金の取締役としての被告に損害賠償を要求しているが、被告には重過失はなく、原告の請求は失当である。

五  仮に、損害賠償債務があるとするならば、原告が振出人たる大井軽合金の信用度を調査すればすでに廃業し、支払能力がないことはたちまち判明するところであったし、第三者振出の手形であれば信用度が高いと漫然と信じ、調査を怠って、本件手形を割引いたことは原告の過失に帰すべきものであるから、被告は、過失相殺の抗弁を主張する。

第四証拠関係≪省略≫

理由

一  被告が訴外大井軽合金の代表取締役であり、右大井軽合金が昭和三六年四月頃東京都から騒音を理由に工場の操業中止を命ぜられ、爾来事業活動を停止し、資産負債を整理し、実際は株式会社たる実体のない単に登記簿上存在するにすぎないものであったところ、昭和三八年一〇月一〇日ころ、訴外鏡石の代表取締役大内弥四郎からの依頼により、本件手形を振出し、これらを右大内に交付したこと、それらがいずれも、支払期日に支払を拒絶されたものであることは、当事者間に争いがない。

二1  原告は、まず、被告は民法七〇九条による不法行為責任がある旨主張する。株式会社の取締役がその職務の執行につき直接たると間接たるとを問わず第三者に損害を加えた場合においては、商法二六六条の三の規定に基づき同人の任務懈怠につき悪意または重大な過失を理由に同人に損害の賠償を求めうることができるとともに、他方それが民法七〇九条の不法行為の要件を充足する限り、同条の規定によって、その損害の賠償を求めうるものと解すのが相当である(最高裁判所昭和四四年一一月二六日判決参照)。よって、原告主張の不法行為の成否につき検討する。

≪証拠省略≫を総合すると、つぎの事実を認めることができる。

和年三七年ころ被告と鏡石の大内との間に、右大内が被告から大井軽合金の全株式を買取って、同会社を右鏡石に買収する旨の契約が成立し、その頃右大内は、被告に手形金の決済は鏡石が責任をもって行ない、被告には何らの経済的負担をかけないことを条件に、鏡石の資金操作のため大井軽合金名義の融通手形を鏡石宛に振出交付することを要請し、被告はこれを承諾し、爾来昭和三八年一〇月ころまでの間に右大内の指示のままに合計一三九枚、金額にして合計四、二〇二万九、二一〇円の融通手形を右鏡石のために大井軽合金名義で振出し右大内に交付し、同人はこれにより鏡石のために金融を得てきたものであるが、本件手形はそのうちの一部であって、前記のように被告が右大内の指示によって昭和三八年一〇月一〇日ころ振出し、これを大内に交付したものである。その後同人が原告にこれらの手形の額引きを依頼し、手形割引金九六万八、〇〇〇円の支払を受けて、右手形を交付し、交付を受けた原告が、昭和三九年三月一六日本件手形の取立を白河信用金庫矢吹支店に委任して、満期に支払いのため支払場所に呈示したが、支払いを拒絶されたこと、さらに鏡石は昭和三九年三月末倒産し、原告は本件手形につき何びとからも支払を受けることが不可能になって、手形割引金相当額、九六万八、〇〇〇円の損害を被ったものである。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  被告が、右認定のような事実関係において、鏡石に金融を得させる目的をもって融通手形を振出交付し流通におくに当たっては、その手形の満期において第三者たる手形所持人から手形裏書人である鏡石または手形振出人である大井軽合金が手形金の支払いの請求を受けるべきは手形法上当然というべきであるから、被告は、手形の満期において振出人である大井軽合金または手形の被融通者である鏡石に支払能力がないことを知りまたは知り得べきであるに拘らず、過失により、本件手形を振出交付し、その結果手形所持人に損害を与え、その手形振出交付と損害との間に相当な因果関係がある限り、被告は、故意または過失によって原告に対し財産上の損害を与えたものとして不法行為の責任を免れえないところである。

いま、本件についてこれらの点を検討するに、前記認定の事実によれば、被告は大井軽合金がその振出手形の支払能力のないことをみずから認め、大内との間に手形金との決済は鏡石が責任をもって行う旨の約束があたっので、それを信頼して本件手形を振出したものであるというのであるから、被告が鏡石において本件手形の支払能力がないことを知っていたか或いは知り得べきであったに拘らず過失により本件手形を振出交付したものであるかどうかがまさに本件の争点ということになる。前掲各証拠によれば、本件手形の振出された昭和三八年一〇月ころの鏡石は、福島県鏡石町に本社、工場を、東京に営業所を有し、アルミ合金を製造する株式会社であり、固定資産としては、工場の敷地として約四、九五〇平方米(約一、五〇〇坪)の土地、工場、機械設備を所有し、他に、原告会社と一体関係にある別会社名義をもって土地約一八、一五〇平方米(約五、五〇〇坪)を有し、その従業員は百数十人、月間約一、二〇〇万円ないし一、三〇〇万円程度の規模で事業を経続していたこと、前記融通手形のうち、そのころまでに支払期日の到来した手形一〇八枚、額面合計二、二一九万五、五〇〇円は各支払期日にすべて鏡石の資金により、大井軽合金名義で支払われてきていたので、被告としては、鏡石に支払能力があることを確信していたものと認められ、右認定に反する証拠はない。もっとも、≪証拠省略≫によれば、昭和三八年頃は、アルミ合金製造業界が不況で、鏡石の経営内容も健全というを得ず、被告以外からも融通手形を借りており、昭和三九年三月倒産当時、売掛金七、八千万円に対し借入金が約一億円もあって、いわゆる自転車操業を続けていたものが認められるが、他方、それにも拘らず、この業界は景気の変動が激しく、鏡石が自転車操業を続けて持ちこたえておれば、やがて好景気を迎え一億円ぐらいの負債は半年くらいの間に返済が可能であると、鏡石の代表者大内弥四郎や鏡石に融資していた信用金庫等の金融機関すら信じていたこと、しかるに、昭和三九年三月昭和製作所が鏡石に対し金二〇〇万円の不払手形をだしたことが直接の原因で鏡石の資金操作にそごをきたし、ついに同月末鏡石自身手形の不渡りを出し、倒産するに至ったものである。右認定に反する証拠はない。

右認定の事実によれば、鏡石の経営状態は、本件融通手形を被告が鏡石のため振出交付したころ、すでにいわゆる自転車操業の状態であったのであるが、しかし、前認定のとおり、アルミ合金製造業界においてはその業界の特性から、鏡石程度の経営状態のものは、倒産せずに乗り切れると鏡石自身およびこれに融資をしていた信用金庫等の金融機関すら信じていたことが認められるのであるから、被告が、同様に鏡石が本件手形を落す資金をつくることができると確信していたこともまたやむを得ないところであって、被告に手形取得者たる原告に対し損害を与えることの故意または過失があったとすることはできない。

なお、原告は、被告が本来単名の手形であるべきはずのものを商業手形のように見せかけて本件融通手形を振出交付した点に過失がある、と主張するが、被告の過失の有無についてはすでに認定説示したとおりであって、前記過失の要件を具備しない限り、単に原告主張のような事情のもとでしたというだけでは、被告に過失があるといえず、それゆえ原告の右主張は理由がない。

三  さらに、原告は予備的請求として、商法第二六六条の三の規定による被告の取締役としての責任につき損害賠償請求を求めているが、取締役が悪意または重大な過失により取締役の任務を懈怠し、その結果第三者に対し損害を与えた場合は、それが直接第三者に加えられた場合であると会社に損害を生じ、その結果第三者に損害を与えた場合であるとを問わず、取締役はこれを賠償する責に任ずべきものであるが、前記認定の事実によれば、被告が大井軽合金の取締役として課せられている善良な管理者の注意義務(商法二五四条三項、民法六四四条)または忠実義務(商法二五四条の二)に違反し、その任務を懈怠したことを認めることができないから、原告の右主張も採用の限りでない。

四  よって、原告の本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中平健吉)

〈以下省略〉

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